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福沢文庫(福沢諭吉)

 幕末から明治期の思想家、教育者の福沢諭吉(ふくざわ ゆきち、1835–1901)の自筆稿本、墨蹟、書簡類、著書、福沢門下生の著書や関連文献が収蔵されている。和・洋書約1,000部と貴重資料約1,200点からなる。
 福沢諭吉は豊前国(現・大分県北部と福岡県東部)中津藩士の子として生まれた。1855年蘭医緒方洪庵(おがた こうあん、1810–1863)の適塾(適々斎塾)で蘭学を学んだのち、1858年に江戸に蘭学塾を開いたが、1863年に英学塾に転向。この間1860年、1861~1862年、1867年の3回にわたり幕府の遣外使節団に随行して欧米を視察した。これらの洋行体験をもとに1866(慶応2)年から1870(明治3)年にかけて『西洋事情』を刊行して西洋文明を日本に紹介し、開国後の日本人に大きな影響を与えた。
 1868(慶応4)年英学塾を芝(東京都港区)に移転して慶応義塾と命名(のち慶応義塾大学となる)。明治維新に際して新政府から出仕を勧められたが受けず、民間にあって教育と国民啓蒙のための著作に力を注いだ。1872(明治5)~1876(明治9)年に刊行した『学問のすゝめ』は総発行部数340万部といわれるベストセラーとなり、その冒頭の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといえり」という言葉はよく知られている。1873(明治6)年に森有礼(もり ありのり、1847–1889)、加藤弘之(かとう ひろゆき、1836–1916)、津田真道(つだ まみち、1829–1903)らと明六社を起こし、日本最初の啓蒙雑誌『明六雑誌』を発行。1875(明治8)年には『文明論之概略』を刊行し、日本が文明国になるには権力偏重を排し、西洋文明と自由に交流・競争することが必要だと説いた。1882(明治15)年には日刊紙『時事新報』を創刊し、政治問題や時事問題、社会問題などで活発な論陣を張った。1884(明治17)年朝鮮の甲申政変で、かねてから支援してきた朝鮮開化派が敗れると、翌年『時事新報』に「脱亜論」を発表し、日本はアジア諸国と連帯するのをやめ、西洋諸国と進退を共にして西洋列強がアジアに接するのと同様の態度でアジア諸国に臨むことを主張した。晩年の著書に『福翁自伝』などがある。『福沢諭吉全集』(全21巻、別巻1、1969–1971)、『福沢諭吉著作集』(全12巻、2002–2003)、『福沢諭吉書簡集』(2001–2003)が刊行されている。

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事項:

Wissenschaften, westliche; アメリカ・日本関係史; オランダ・日本関係史; 加藤弘之; 啓蒙主義; 国民啓蒙; 幕末時代; 政治史、日本の; 日本・アメリカ関係史; 日本・オランダ関係史; 日本の政治史; 日本の近代化; 明治時代; 明治維新; 森有礼; 洋学; 津田真道; 福沢諭吉; 緒方洪庵; 蘭学 近代化、日本の

専門分野:

政治史学

所蔵機関:

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