江戸時代の堂上公家(新家)の裏松(うらまつ)家旧蔵の史料約1,000点からなる。 裏松家は藤原氏日野流の烏丸家の庶流で、名家の家格である。烏丸光賢(からすまる みつかた)の次男資清(すけきよ)を祖とし、寛永年間(1624–1644)に創立された。家禄は130石。有職故実家の裏松光世(うらまつ みつよ、法名:固禅 こぜん、1736–1804)は、1758年宝暦事件に連座して蟄居。その後30年にわたり平安京大内裏の研究を行った。1788年の内裏焼失の際に彼の研究成果が採用され、紫宸殿(ししんでん)などが平安内裏の様式で建造された。1797年には朝廷の命令により『大内裏図考証』30巻50冊の清書本を献上した。 本蒐書は裏松光世(固禅)の主著『大内裏図考証』、『皇居年表』の稿本や草稿、各種図面類、光世が収集した儀式書・故実書の写本等が含まれる。1954年に徳大寺公英(とくだいじ きみひで、1919–)より購入し、史料編纂所に所蔵されている。図書室備え付けの仮目録『裏松家記録目録』がある。現在、目録編成とデータベース構築に向け史料整理・共同研究の作業が進められている。
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