室町時代から続いた宮家である伏見宮(ふしみのみや)家の記録類690点からなる。 宮家とは、皇族で天皇から宮号を賜った家のことをいい、平安末期に親王家が宮号を称したことに始まる。親王とは701(大宝1)年制定された大宝律令以降の天皇の子息・兄弟の呼称で、それ以前の名称の皇子と共に用いられた。女子の場合は内親王(皇女)と呼ばれた。天皇直近の親族として特別待遇を受け、臣下の大臣と同格視された。平安時代初期以降、特定の者のみが親王宣下(しんのうせんげ)を受けて、親王または内親王となることが慣例化した。後鳥羽天皇(ごとばてんのう、1180–1239)の皇子、皇孫が親王宣下を受け、六条宮を称したのが宮家の最初である。鎌倉末期から南北朝時代には、親王の子孫が代々親王宣下を受ける世襲親王家が成立し、常盤井宮(ときわいのみや)、木寺宮(きでらのみや)、伏見宮などが創立された(常盤井宮と木寺宮は室町時代に途絶えた)。伏見宮家は崇光(すこう)天皇(1334–1398)の子の栄仁(よしひと)親王(1351–1416)を初代とし、1947年に第24代博明(ひろあき)王が皇籍離脱するまで、約550年続いた。 伏見宮家の記録類などの多くは宮内庁書陵部に伝えられているが、東京大学史料編纂所には1692(元禄5)年から1923(大正12)年にいたる232年分の日記が所蔵されている(明治末年から大正にかけては日記の欠ける年がある)。日記には宮家の家政が詳細に記されている。
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